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まちづくり塾孫兵衛の紹介

佐原は江戸時代の利根川東遷事業による物資の集積地として発展し、明治・大正を経て、昭和期の1950年代ごろは商圏30km・商圏人35万人を誇り、その商圏内に近郊都市を取り込んでいました。


が、1969年の鹿島臨海工業地帯の操業開始、1970年の鹿島線(鹿宮駅~香取駅間)開業、1978年の成田国際空港の開港等々、交通・運輸の手段の変化並びに産業構造の変化は、佐原の盛衰に大きく関わることになりました。

かつては商圏の一部であった鹿嶋や成田が自立し、その躍進の煽りから近郊都市との競争に敗れ、商圏を失い、駅前デパート2店舗が倒産・撤退し、複合ビルの倒産しました。

こうした閉塞感の呪縛に覆われた状況下において、まちづくり塾孫兵衛は2004年1月に自宅を改装して開塾しました。

当時、駅前商店街は衰退し、駅の移転計画までが噂されていました。商店街全体が意気消沈し、何もかもが悪い方向に発想を巡らせてしまう始末でした。その中でクリーニング店、布団屋、不二家、衣料品店、本屋、時計屋、喫茶店、すし店等々の店じまいが続きました。真っ暗闇の商店街が何をなすべきか暗中模索の中、商店街に「夢と希望を作る」勉強会を始める塾を思いつきました。商店街にビラを配り、塾生を募集しました。参加者は2名でした。町中を駆けまわり8名の塾生をかき集め、第1回目の塾が開催されました。  

 

商店街の再生を目指して2005年1月に設立した式会社ゼットやっぺい社が、役員のうち3分の2を塾の卒業生で構成できるようになり、食菜館わいわい・駐車場を運営するようになりました。

 

そんな折に、塾でもあり、株式会社ゼットやっぺい社の本社でもあった私の自宅が、隣家からの失火により全焼し、まちづくりの資料、塾の資料、パソコンの焼失等々により、何もかもが灰塵に帰してしまい塾の開催は不可能になりました。しかしながら、その間にまちおこし会社の運営の自立化や、まちのいろいろな実態がわかり始めました。事業の自立化とまちの繁栄、農業の6次産業化、起業家育成(コミュニティビジネス)と若者の職場の確保、高齢化とコンパクトシティ化、福祉の利用と空き店舗対策等々問題が山積し、その対応策も12年間の実績を元にどこに問題点があるかが、少し目に見えるようになってまいりました。

 

4回目からの塾の再開は問題点の解決と指導者の育成、をテーマに始めました。また、まちの中での数少ない成功者の参加を呼びかけました。

塾生の年齢は23歳から79歳まで、職業は商売人を初め大学院の学生から県会議員までと、多士済済です。

 

今後もまちに夢と勇気を吹きかける塾を目指してまいります。

塾長 伊能久敬 

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